君と二人
今日は月森がある番組にゲストで呼ばれて出演することになっていた。
あまりテレビなどマスコミに出ることは好きではないが、最近クラシックがだいぶポピュラーになってきたこともあり
その功労者の代表ともいえる月森や香穂子に声がかかることも多い。
特に月森はヴァイオリニストとしても素晴らしい才能を持つ若手として注目されている上に
類まれなる美貌の持ち主。新進気鋭の美形ヴァイオリニストとしてクラシック愛好家ばかりでなく
クラシックに今まで興味のなかった者たちにも人気を博していた。
おかげでコンサートのチケットは全て売り切れ。マスコミがほうっておくはずがなかった。
一方香穂子も個性的なヴァイオリニストにして愛妻家として有名な月森の妻。
共に取材やテレビ出演など要請されることも増えてきた。
香穂子の助言もあり、クラシックをもっと身近にするために
こうして時には番組に出演することも必要だと月森も納得するようになった。
ただなるべくなら2人で・・・というのが月森の希望なのだが時には1人でということもある。
「香穂子・・・君も来ないか?」
あまり行きたくなさそうにのんびりと用意をしていた月森が「用意はできた?」と近づいてきた
香穂子の腕を取り、その柔らかな身体を背中からぎゅっと包み込むように抱きすくめた。
「今日は・・・だめだよ。だって・・・言ったでしょう?私も打ち合わせがあるの・・・」
「わかってる・・・」
香穂子が1人で呼ばれる時はなんだか心配になる。テレビ局にはいろいろな人物がたくさん
出入りしているし・・・。香穂子をそんな中に1人で行かせるのは耐えられない。なるべくなら
都合をつけて一緒に同行する。それが無理なら携帯で何度もメールを送っては香穂子に
笑われてしまう。でも・・・『メール、嬉しいよ』と言ってくれるから・・・。少し心配ないかなと安心する。
それなのに・・・。香穂子は心配じゃないのだろうか。事実、月森1人で行く時は何度声が
かかるかわからない。香穂子が側にいてさえ、携帯のnoを書いたメモを渡されそうになったりするほどだ。
もちろんすべて丁重にお断りしているけれど・・・。逆に『あまり邪険に断ったりしないでね』と言われる始末だ。
「はっ・・・」
思わずため息をこぼす月森の腕を香穂子はくすっと笑いながらぎゅっと抱きしめた。
首筋に頬をこすりつけてくるから頬をくすぐるさらりとした月森の青い髪から香る爽やかな甘い香り
にドキドキと胸を高鳴らせながら・・・。こんなにも好きなのに・・・。すぐにこうして困らせる。
だけどそんなとこも好き。大好きなのに。
「蓮くん、大好きよ・・・」
「香穂子・・・」
「ほんとは私だってずっと側にいたいし、一緒に行きたいの」
「わかってる・・・。すまない・・・。困らせるようなことを言って」
月森は後ろから抱き込んでいた体を反転させるとかがみこむように香穂子の顔をのぞきこんだ。
「れ・・・蓮くん?」
「まだ少し時間がある」
「そ・・・そうだけど・・・」
「君のぬくもりがほしいんだ・・・」
目の前で切なく見つめる甘い琥珀色の瞳に香穂子の胸がきゅんと高鳴って・・・。
「いいよ・・・ぬくもりをあげる・・・」
ぎゅっと月森の首に抱きついて耳元で小さくつぶやく香穂子の声に月森の鼓動が
とくとくと脈打ち始める。どんな素晴らしい音色だってかなわないその甘く優しい響きに
酔いながら・・・。その身体をひょいと抱き上げるとそのままゆっくりとソファの上に横たえて・・・。
柔らかな唇の感触を確かめるように・・・。何度も唇を押しつけるように重ね・・・
そのぬくもりを大事そうに・・・強く強く抱きしめていった。
月森はテレビ局に向かう車の中でも先ほど抱きしめて自分のものにした香穂子の
ぬくもりを思い出して幸せにひたっていた。このぬくもりがあれば・・・。俺は何もなくても
生きていけるんだ。ずっと・・・。手離すことなどできなかった何より愛しい宝物だから・・・。
それでも少し時間が立つとまた恋しくなる。本当に・・・どうしようもないな・・・。
月森は走る車の窓に目をやりながら・・・。明るいひだまりのような香穂子の笑顔が
そこに見えるようで思わず頬をゆるませた。
「月森さんて・・・時々すごく幸せそうに微笑みますよね」
いきなり声をかけられて月森は我に返ると声のした方に振り返った。そうだった・・・。
車にはいつも取材などには同行してくれるマネージャーのような存在の高木も乗っていたのを
すっかり忘れていた。今の表情も見られていたのか・・・。
香穂子のぬくもりと笑顔を思い出していたことまで見すかされているようで月森は思わず赤面した。
「あ・・・スミマセン!あんまり幸せそうなんでつい・・・。」
「かまわないですよ」
月森が苦笑しながらもそう言ったので高木も安心したように気になっていたことをたずねてみた。
「奥さんの・・・ことですか?」
「・・・ええ・・・。まあ・・・そうです」
月森は愛妻家で有名だ。愛する妻、香穂子のことは隠すどころか、逆に香穂子が恥ずかしがる
ほど何もかも曝け出してしまう。当然だ。月森はそう思っていた。2人でずっと築き上げてきたもの。
ずっと離れず一緒にいるために、そしてこうして2人でヴァイオリンの世界でやっていくために。
その夢を叶えるため2人で力を合わせて努力してきた。それでも2人でいるためなら何も苦には
ならなかった。2人一緒だから頑張ることが辛くはなかった。その想いは2人恋に落ちた時から変わっていない。
それほど愛している。この想いを隠すことなど必要ない。高校の時から貫き通してきた一途な想い。
香穂子も・・・恥ずかしがりながらも同じ想いでいてくれるのがわかるから・・・。なおのこと隠したくなんかない。
高木は噂にたがわない月森の愛妻家ぶりを目の当たりにしてドキドキしていた。
まだ自分は本物の恋というものをしたことがない。
きっとこういうのを本物の恋って言うんだろうな・・・。そんな風に思って感動もしていた。
しかもいつもクールで冷静沈着。あまり表情を変えないポーカーフェースの
月森蓮がこんなにも熱い想いを胸に秘めていて、本物の恋、いや、もう本物の愛というべきか。
妻に捧げていると思うとまるでおとぎ話のようだと高木は強く思った。
「月森さん、着きましたよ」
また窓の外をながめて物思いにふけっている月森に高木は声をかけた。
常に・・・。いつでも奥さんのことで頭がいっぱいなんだろうな・・・。
どんな女性なんだろう。高木は尊敬する月森の心のすべてを占める月森香穂子と言う女性。
会ってみたいとそう考えていた。いつも家まで迎えに行ったことはない。
自分が途中から車に乗り込み合流するから。
もしかしたら・・・会わせたくないのかも。ちらりとそう思ってしまうほど愛している。
そんな想いが伝わってくるから。思わず月森と目が合うと笑ってしまいそうになり
怪訝な顔をされながらもなんだか幸せな気持ちになった。
「何か・・・おかしなことでも?」
「いや。なんでもないんです。それじゃ行きましょう」
テレビ局に入っていくと見慣れた顔がたくさんある。
月森はあまり知らないようだが、高木は普通にテレビもいろいろ見るので知っている。
それでも・・・。月森に比べるとそれほどでないように見える。
そのせいか月森が入っていくとすーっと空気が変わっていく気がするのだが
本人は別段気にとめていない。そしていつも必ず誰かしら女性が声をかけてくる。
邪険にするわけではないが、きっぱりとあのクールな視線で断れば相手はたいがいたじろいでしまう。
「君がいてくれて・・・助かるんだ」
小さくため息をついてぽつりと月森がつぶやいた。やはり1人でいるよりは近づく女性が減るらしい。
贅沢な悩みだな、と高木はその丹精な横顔を見上げながら思った。
そういえば・・・。奥さんと一緒の時はマネージメント頼まないんだよな、となんとなく考えていた。
それでもずっとついていられるわけじゃないので収録が終わると1人のアイドル歌手が月森に付きまとっていた。
断っても断ってもだめらしい。それでもプロデューサーに呼び止められて自分も月森の側に行ってあげることができない。
月森も困り果てていた。よほど自信があるのか・・・。何度きっぱりと断ってもだめなのだ。
他に待つ客もいないからエレベーターにも一緒に2人きりで乗らなくてはならない。
「お家に遊びに行ってもいいですか?」
「妻がいると言っているでしょう・・・。いい加減にしてくれませんか・・・」
はあっ・・・。ため息がこぼれる。
香穂子の爽やかな笑顔を思って胸が苦しくなってくる。
邪険にするなと君は言うけれど・・・。
君がいてくれないからだ・・・。君が悪いんだ・・・。
息を吸い込んで強い視線を向けた。そして口を開こうとすると・・・。
「蓮くん!」
甘く響くずっと聞きたかった声。その呼び名に思わず月森は大きく目を見開いた。
「香穂子・・・?香穂子!」
開いたエレベーターの中に香穂子が立っていた。思わず満面の笑みがこぼれると月森は香穂子の元に駆け寄った。
そのあまりにも嬉しそうな笑顔に・・・。アイドルはぽかんと口を開けてその場にいた誰もがあっけに取られていた。
あの月森蓮が・・・この笑顔・・・。
「来てくれたのか・・・。打ち合わせはもう終わったのか?」
周りなど見えていないようにエレベーターを降りた香穂子の肩にそっと手を添えると
頭ひとつ小さい香穂子の顔をのぞきこむ。
「うん。少し早く終わったの。ここと近かったから来ちゃった」
そう言ってぺろりと舌を出す妻の様子に月森が頬ゆるませて優しく甘い視線を向けている。
これがあの・・・月森蓮?びっくりしている皆をよそに香穂子がぺこりと会釈する。
「いつも月森がお世話になっています」
「こちらこそ・・・」
すっかり当てられた皆を尻目に月森は「それじゃ失礼します」と言って香穂子の肩を抱いたまま
エレベーターに乗り込んで行った。さすがのアイドルもぽかんとその場に立ち尽くして見送るしかなく
高木は初めて見る明るくかわいらしい月森の妻と妻に対する月森の深い愛情にうっとりとしていた。
だから・・・クールに見える月森蓮があんな情熱的で愛情あふれる演奏ができるんだな・・・。
そんな風に深く感動しながら二人のことを見送っていた。
エレベーターに乗り込んだ月森と香穂子は・・・。
「来てくれて・・・うれしかった」
「うん・・・私も来てよかったな」
「どうして?」
「だって・・・」
言葉にはしなかったけれどエレベーターが開いた時の2人の雰囲気でなんとなく察したんだろう。
月森はそう感じて困った様子の香穂子の横顔を嬉しそうに見つめた。
少しは・・・妬いてくれたのか・・・?
「君がいないから・・・淋しかった・・・」
「蓮くん・・・私も・・・」
そしてエレベーターの壁に寄りかかる香穂子に覆いかぶさるように抱きしめてその柔らかな唇にそっと口づける。
香穂子の腕もそっと月森の背中に回されて・・・。深まるキスと抱きしめ合う体・・・。
場所も忘れて夢中になる2人の背後ですっとエレベーターが開いて・・・。
階を押してなかったせいで元の階で開いたエレベーター。
それ以来二度とその場にいたアイドルが声をかけてくることはなかった。
さすがに高木も固まって・・・・。
そしてますます愛妻家月森蓮の名は広まったのだった。
君といれば・・・。
君と二人なら。
それだけで俺は幸せ・・・。
2006.2.10