「奏音。そこはそうじゃないだろう?」

「うん。わかってるよ、パパ」


柔らかな日差しが差し込む窓辺で大きなバイオリンと小さなバイオリン。

背の高い月森が弓を構えて立ちそのすぐ横にまるでそのままバイオリンごと

小さくしてしまったような奏音が弓を構えて並んで立っている様子が

なんとも微笑ましくて3人分の飲み物を持ってきた香穂子が思わずクスリと微笑んだ。


それにまだ三歳になったばかりの子供に教えているとは思えない月森の口調に

高校の時、王崎に頼まれて一緒に子供たちに教えに行った時のことを思い出す。

本当に不器用な愛しい人・・・。

それでも根気良く相手が子供だとしても真摯な姿勢で丁寧に教える月森に

答えるように奏音のバイオリンは驚くほどの速さで上達していった。


「しかし・・・。すごいな。奏音は」


休憩を取ろうとコーヒーを口にした月森が庭に出て遊んでいる奏音に

真剣な瞳を向けながら思わずつぶやいていた。

月森からそんな言葉が出るなんて。

香穂子は驚いたが同じことを思っていたので庭を走り回る奏音を

優しい瞳で追いながらうなずいた。


「ぼくね、おおきくなったらパパみたいなばいおりんをひくひとになりたい」


奏音が突然言い出したのはもうすぐ二歳から三歳になろうとする頃だった。

月森も、そして香穂子ももしできることなら・・・と願っていたことだったのでとても嬉しかった。

なんとなく願っていたことだったけれど本人の意思にまかせることが一番だと思っていたから

小さなバイオリンをほしがる奏音に月森が小さな頃使っていたバイオリンを

渡すととても喜んですぐに毎日月森に教えてくれとせがんでいた。

そしてある程度弾けるようになった頃・・・。

たどたどしくはあったけれど聴き慣れた旋律を奏音が奏で始め

月森も香穂子も思わず顔を見合わせて頬を紅潮させた。


「これは・・・。この曲は・・・」

「うん。きっとそうだよ、蓮くん」


そう。

流れてきた旋律は「トロイメライ」


月森が香穂子が妊娠中に請われて弾いた思い出の曲。

お腹にいる奏音もずっと聴いていたはず。


そして。

生まれてからどんなに夜泣きがひどくても月森がこの曲を

奏でればぴたりと泣き止んでやがてすやすやと心地よい眠りに入っていた。


そして・・・。


「奏音、この曲をどうして知っているの?」


真剣に見つめる月森の視線の先で。

香穂子に優しく問いかけられて奏音はにこりと笑った。

まるでいつも香穂子が反則の笑顔と呼ぶ月森の笑顔そっくりの愛くるしい笑顔で。

弓をすっとおろすとまるで月森そのもののように。

そして笑顔でだいすきなパパとママに向かって答えた。


「だっていつもさびしくなるときこえてきたんだよ。

おみずにぷかぷかしてたときから・・・」


月森も香穂子も驚いたけれど三歳までの子供は母の胎内にいた時のことを

覚えていることもあるという。

きっと月森が香穂子のために優しく奏でていたこの曲を

奏音も香穂子のお腹の中で心地よく聴いていたのだと

月森も香穂子も感慨深い思いで奏音に柔らかな視線を向けた。


「奏音。おいで」


月森の呼びかけに奏音は瞳をきらきらと輝かせて弾かれたように

駆けてくると手を広げた月森の胸の中に飛び込んできた。


「パパ。だいすき!」


小さなバイオリンを手にしたまま胸に飛び込んできた奏音に苦笑しながら

その柔らかく暖かい温もりをそっと優しくそして強く抱きしめて月森は

胸が甘く疼くのを感じ日向のにおいのする奏音の髪に唇を押し当てた。


「パパも奏音が・・・だいすきだよ」


そんな2人を見て暖かい思いでいっぱいになった香穂子が嬉しそうに提案する。


「ね。みんなで弾かない?」

「ああ。それはいいな・・・」

「うん。ひきたい!」


2人の思い出の曲。

そして今は3人の思い出の曲『トロイメライ』を。


柔らかな日差しの差し込む幸せな空間で。


2006.7.18








ちなみに奏人くんの未来はヴァイオリニストではありませんv
続きをお楽しみに♪