「ん・・・」
ベッドの上で心地よくうたた寝していた香穂子は時折ふわりと髪に触れる
暖かく大きな掌の温もりとパラリとページを捲る音にふと目を覚ます。
「起こしてしまったな・・・。すまない」
けだるい体をベッドに横たえたままで優しくかけられた声の主を見上げると
ベッドの背もたれに寄りかかり本を手にした月森が
眼鏡越しに優しく慈しむような瞳の色で見つめていた。
「蓮くん・・・。私、寝ちゃってたんだね・・・」
「ああ。妊娠すると眠くなるというから・・・時々眠くなるようだ・・・。
ゆっくり休んだ方がいい・・・。本をめくる音で目を覚ましてしまったようで・・・すまない。
本当は起こさないようにあちらのソファで読もうと思ったんだ。
でも・・・。心地よく眠る・・・君の寝顔を見ていたら・・・つい・・・」
「隣に来たくなったの?うれしい・・・。私もその方がいいもの。
ソファは目の前だけど・・・。目が覚めた時、隣にいてくれた方が安心する。
それに・・・あったかいよ」
月森の言葉に香穂子が嬉しそうに答えれば月森も香穂子の言葉に嬉しそうに微笑む。
そしてそっとお互いの体を自然に相手の体に擦り付けるように押し付けあう。
お互い同じ気持ちで寄り添いこうして共に過ごす時間は本当に何より暖かく幸せな時間だ。
それに・・・。
何度も優しく触れて・・・髪をなぜる大きな掌・・・。
離れていては・・・届かないもの。
心地よくて・・・もっとしてほしい。
ページをめくる合間にも触れていたいと優しく髪に触れていた月森の優しい指先を
香穂子がそっと愛しそうに見つめているのに気づいた月森が少し困ったように頬染めて苦笑した。
「起こさないようにそっと・・・触れていたつもりなんだが・・・」
香穂子がゆっくりと体を起こそうとするのに手を添えてやると
抱きつくようにしがみついてくるから思わずその体を抱きしめる。
「気持ちよかったの・・・。だから・・・もっとなぜて・・・」
耳元をくすぐる香穂子の甘い声音と可愛らしいお願いに月森の頬がゆるむ。
そして本を持たない方の掌でそっとその髪をなぜてやる。
いつも甘えたがりというわけでない香穂子だけれど
体に宿った命を守ろうとする本能からかいつもより頼りなげだ。
子供が生まれてきたとしたら今度はきっと母としての本能から
以前よりもっと精神的に強くなるのかもしれない。
そんな香穂子の体を抱きしめながらどんな香穂子も自分だけのもの。
月森はそんな幸せにひたって思わず瞳を閉じた。
「蓮くん。ね、何熱心に読んでたの?」
香穂子の言葉に抱きしめていた腕をそっとゆるめて隣でのぞきこむ
香穂子の視線の先にある手元の本に月森も視線を向けた。
「ああ・・・。これは・・・」
「うわぁ、すごい!これ全部蓮くんが?」
手にした本の他にベッドの脇のテーブルにも何冊か本が積まれている。
それらはすべて・・・子供を宿した香穂子の体のための本と
これから生まれてくる子供のための本ばかりだ。
手にしているのも『すこやかな10ヶ月のために』と書いてある。
これをすべて月森が本屋で買ってきたのかと思うと・・・。
香穂子は思わず眼鏡の奥の月森の真摯な瞳をじっと見つめてしまった。
月森らしくないようで・・・月森らしい。
そう感じてすぐにしあわせな笑顔になった。
「蓮くん・・・いつもありがとう・・・」
「いや・・・俺は何もできないから・・・。少しでも君の体の負担にならないように
できないものかと。少しでもわかっていた方がいいだろう」
そうか・・・。だからさっき『妊娠すると眠くなるから・・・』と言っていたんだなと思い当たる。
クスリと笑みがこぼれてふとテーブルの本に視線をうつすと本の脇に小さな紙が見えた。
「蓮くん、それなあに?」
「え?ああ・・・これは・・・」
「見せて。何が書いてあるの?」
月森は香穂子の視線の先にある小さな紙を困ったような笑みを浮かべながら手に取った。
「ただ・・・思いついて書いてみただけなんだ・・・」
『奏音』
そう一文字月森の丁寧な文字で書かれていた。
「もしかしてこれ・・・赤ちゃんの名前?」
「ああ・・・そうだ。まだ早いとわかっているけれどふと思いついたものだから」
「『かのん』?」
「『かのん』・・・か。それもいいな」
「違うの?」
「奏でる音と書いて『かなと』・・・。どうだろうか・・・」
「蓮くん!」
香穂子は体が重くなっているのも忘れて飛びつくように月森の体に抱きついた。
「か・・・香穂子・・・?」
「すごく素敵ね!奏でる音と書いて『かなと』・・・。ね、これにしよう?」
「香穂子がいいと言ってくれるなら・・・。そうしようか・・・」
「うん。男の子なら『かなと』。女の子なら『かのん』。これではどう?」
「ああ・・・。とてもいいと思う・・・。君さえ良ければそうしよう」
「でも・・・やっぱり男の子がいいな・・・。できれば」
「なぜ?」
「だって・・・前も言ったじゃない」
「ああ・・・。君がそう思ってくれるのは嬉しい。
だけどそれは俺も同じだ・・・。まあ、息子が生まれたとしても
負ける気はしないが・・・。君はまず俺のものだから・・・」
「蓮くん、私だって女の子だったら・・・」
月森は眼鏡越しに熱いまなざしを向けると香穂子の体を抱きこんで
香穂子の続く言葉をその唇で塞いで飲み込んでいった。
深まる口づけに月森の眼鏡がはずれ・・・
手にしていた本がベッドの脇にパサリと落ちていった。
そして・・・。
ふくらみ始めた香穂子のお腹をつぶさないようにやんわり合わせた
月森のお腹がポンと蹴られて・・・。
名前は『かなと』に決まりかな・・・。
月森はふとそんな風に感じてますます強く香穂子の唇を求めていった。
世界中で一番大切な君は俺のものだから・・・。
まるで小さなライバルに宣言するように・・・。
小さなライバルはそれに答えるようにまた一度小さく力強く蹴りあげた。
『負けないよ、パパ。』
まるでそう宣言するように。
世界中で一番大切に想い合う2人の間で・・・。
2006.2.27