夢中になって








今日は月森は仕事で香穂子は久しぶりの休日だ。



やはりバイオリニストとして成功しつつある月森の方が忙しい。

それでも香穂子も個性的なバイオリニストとして認められつつある。

2人共に歩んで頑張ってきた努力と積み重ねの賜物。

お互い強く影響しあって今の2人を作り上げてきた。


高校の頃、コンクール中に恋に落ちてからずっと月森が言い続けてきたこと。

切磋琢磨しあいながらバイオリンの道に進んでほしい。

そして香穂子も月森とバイオリンに出会うことによって新たな夢が生まれた。


特に香穂子の努力は相当のものだったと思うが月森の強い支えと想い

そして香穂子自身の強い望みと前向きに頑張る精神力。

お互い片時もその音色もその存在も離したくない強い愛と

共有する想いからこうして2人幸せな今がある。


そしてずっと共にいられる幸せ。

2人でひとつひとつ叶えていく夢の数々。



そして・・・。



「うわあ、すごい素敵ね。月森くんらしいというか・・・。そこにところどころ

香穂子らしい部分が絶妙に入り込んでる」


そう言って月森の留守中に時々たずねてくる菜美が改築されて初めて見る

2人の部屋を見回しながらクスクスと笑った。


「どうして笑うの?」

「ごめん、ごめん。なんていうか・・・。

2人の関係が良く現れてるなあって。月森くんと香穂子の絶妙なマッチング加減がさ・・・」



そう。

ひとつの夢。

いつか2人のために自分たちの力で家を整えたい。

月森は音楽以外あまり欲というものがない。

正確には香穂子に出会うまでは・・・なのだが。

今は香穂子に対する欲というものがとめどなく溢れ出して止まらない。

それが悩みの種でもあるのだけれど・・・。


そして香穂子と一緒に留学した時に今まで貯めていたお金は

生活していくために随分減ってしまったが

それでもまだこれからのためにと2人で貯めてきた。

香穂子も結婚前の金銭感覚のままだから贅沢することもなく過ごしてきた。

そしていつか2人のための家にしようと月森から打ち明けられていたから。

やはり親に頼るばかりでなく自分たちの力で作り上げていきたい。

2人で共に頑張っていきたいという思い。


その夢が今叶って希望通りの家になったのだけれど・・・。



「あれ?このボタンは?」

「え・・・・?」


キッチンの脇の柱にひとつボタンがある。

菜美が今、そのボタンに触れようとしていた。


「あっ!菜美!そのボタンは・・・押しちゃ駄目!」


香穂子はあわててとめようと駆け寄ったが行動の早い菜美の手は

すでにボタンを押した後だった。




「ちょっと、これ・・・」



ボタンを押してしまった菜美があきれている。

そして顔を真っ赤にして再びボタンを押す香穂子。


そう。


そのボタンは寝室とキッチン・ダイニングを遮るためのボタン。

これを押すと壁とよく似たカーテンで遮ることができるようになっている。

誰かたずねてきた時にはこうしてボタンを押して寝室は見えないようになっているのだ。


「普通、ボタン押しちゃう?もう・・・菜美ったら・・・」

「ごめん。つい。でも・・・すごいね。ほんと。

これって・・・月森くんの希望なんじゃないの?香穂というより」


答えはなくとも香穂子の表情でそれが当たりだということはわかる。


まったく・・・。

どんな時でも香穂と一緒にいたいってわけね・・・。

そしていつでも姿を見ていたいと。


菜美は思わずあきれて苦笑しつつため息をこぼす。


「まあ、香穂も承知したってことは・・・。同じ気持ちってことだもんね」


これも返事はないけれど・・・。

やはり当たりなんだなということがわかる。


「そっか。まあわからないでもないけど。月森くんてなんかさ・・・」

「なんか何よ」

「ストイックな色気があるじゃない?だから・・・」


菜美が香穂子の耳元でこそっと囁いた。


ばっちーん!


「いったぁ・・・」

「ご・・・ごめん。だって菜美が変なこと言うから・・・」



いつもと違って思いっきり背中をはたかれて見れば熟れたトマトの

ように真っ赤になって固まってる香穂子に。

菜美もみるみるうちに真っ赤になった。


「じ・・・冗談に決まってるのに。や・・・やあね。香穂」


2人で真っ赤になって固まっていると玄関のベルが鳴った。


「ほら。香穂。旦那様のお帰りよ。迎えに出てあげないと」

「い・・・いい。菜美出てよ」

「何言ってるのよ。そんなことしたらまた睨まれちゃう。ほら、早く」

「菜・・・菜美が変なこと言うから・・・」


痺れを切らしてガチャガチャと鍵の開く音がする。

すぐに出てこない香穂子を心配して月森が鍵を開けて入ってくる音がした。


「それじゃ、私もう帰るね」

「え?ま・・・まだいいじゃない。帰らないで」

「せっかく帰ってきたんだから2人きりになりたいでしょ。

それじゃ、また」


居間に月森が入ってくるのと同時に菜美が出ようとして鉢合わせした。


「あ・・・つ・・・月森くん!お・・・おかえりなさい」

「ああ。天羽さ・・・」

バチッと目と目があってますます真っ赤になった菜美は

「お邪魔しました!」

と大きな声で言うとばたばたと帰って行った。



「なんだ。どうしたんだ。天羽さんと喧嘩でもしたのか?」


ネクタイをゆるめながら近づいてくる月森に耳まで真っ赤に染まったままの香穂子がじりじりと後ずさりする。


「喧嘩なんてしてないよ。お・・・お帰りなさい、蓮くん」

「ただいま・・・。香穂子?」


すぐにでも側に行き腕の中に抱きしめてその甘い唇に口づけたいのに近づくたびに

遠ざかっていこうとする香穂子に月森は眉をひそめる。


「香穂子・・・。なぜそうやって遠ざかっていくんだ」

「なんでもないよっ。気にしないで」

「気にしないでって・・・無理に決まってるだろう?」



月森の足の方が長いのですぐに追いつかれて腕を取られる。


「や・・・ちょっ・・・離して」

「離してって・・・なぜだ」



月森はわけがわからないというように香穂子の腕を引き寄せて

顔をのぞきこむようにしてその唇に唇を強く押し当てる。


真っ赤になったまま香穂子がぎゅっと瞳を閉じている。


いったい・・・。

どうしたというんだ・・・。



月森は確かめたくてキッチンの脇にあるボタンに手をかけた。




「まったく、香穂ったら。冗談言ったのに・・・。

あんなに反応するなんて。びっくりした」


まだ熱い頬を押さえながら菜美は家に向かって歩きつつぶつぶつとつぶやいていた。

あの時ちょっとからかうつもりで言った言葉。

香穂子は反応が素直だからすぐに態度に出る。


よっぽど・・・なのね。

あんなに思いっきりはたいて・・・。

あの時の香穂子の熟れたトマトのような真っ赤な顔を思い出し思わず笑いが零れる。


「仲良きことは美しきかな?やっと今は一緒に過ごせる時間が

増えたんだもんね。良かった、良かった」


菜美は満足そうに大きく伸びをすると

家へと向かう足を速めていった。



「もう・・・蓮くんは・・・。帰ってきたばかりなのに・・・」

「君が悪いんだ」


月森の熱い腕の中で少し息が上がって掠れた声で囁かれる。

やっぱり菜美の言うとおり。

それだけでもう・・・。

体がぞくりと震えてしまうもの。


そして蓮くんの熱くて優しく力強い腕の中は・・・。

こんなにも心地いい。



「それで?本当に・・・そうなのか?」


覆いかぶさるように優しく両の掌を重ねられて

真上からまっすぐ見つめる光に透けて金色にも見える琥珀色の瞳。


香穂子は少し恥ずかしそうにそれでもとろけそうな笑顔を向けると・・・

ゆっくりとうなずいた。



そう。

菜美の言うとおり。


私は蓮くんの虜なの・・・。



そして幸せそうに月森も笑う。


そう。


そしてこの笑顔にも・・・。

虜なの。



そして近づく甘やかな瞳。

重ねられる甘く優しく暖かな・・・唇。

重ねられる心地よく広い胸。

体に回された優しいけれど力強く熱い腕。


貴方のすべての虜なの・・・。


香穂子から柔らかな身体を押し付けられるように

ぎゅっと抱きつかれて月森の胸の鼓動が早まる。

そして心も体も熱くなるほどの幸せを感じる。


俺の方が君に・・・。

溺れているんだ。



とろけそうなその笑顔にも・・・。

もう・・・どうしようもないほど虜になっている。




「俺の方がずっと・・・君の虜なんだ・・・」



だから・・・。


もっと。

君も俺に・・・。


夢中になってくれ。


この心も体もすべて・・・。

俺のすべては君だけのものだから・・・。


君のすべても俺だけのものだと思えるように。