幸せのおすそわけ








駅からそう遠くはない月森家は歩いて15分くらいのところにある。


休日など2人で過ごす時に散歩がてら駅前でデートすることもあるが閑静な住宅街に近いせいか

駅前とはいっても割と静かで喧騒とはほど遠い。


人ごみが好きでない月森だけれど香穂子と一緒ならそんな喧騒も

今はあまり気にせずに香穂子と過ごすその楽しい時間だけにしあわせを感じるようになっていた。


しかし、この駅前のような静かでのんびりとした雰囲気は好きだった。


決まった時間に駅を利用するわけでもなく車で送ってもらうことも多いのだけれど

たまに駅を利用する時は駅から続く道の両側に並ぶ店をなんとなくながめながら帰っていく。


自分のためとかお店に興味があるわけじゃなく

つい香穂子の喜びそうな物ばかり目についてしまうのだ。


いつも自分の姿を見れば

こぼれるような笑顔で迎えてくれる香穂子・・・。

それが何よりしあわせで何よりうれしい。


だからこそ、そんな香穂子に小さな幸せを贈りたい・・・。

そう思ってしまうのだった。


一緒に買い物に出てもねだるわけじゃない香穂子。

でも気にいったものが目に入れば素直に顔を輝かせる。


「それがほしいのか?」

「うん。これすごく好きな色なんだ。でも今日はいいよ。

せっかく蓮くんとデートだし・・・。いろいろ見て回りたいの」


そう言って月森の腕を取って歩き出す。


だから・・・。

こうして時々、一人でいる時に買って帰る。


香穂子の喜ぶ笑顔を思いながら・・・。


そんな月森が駅を利用する時、必ず寄って帰るお店があった。


香穂子が1番喜んでくれるから・・・。


「わあ〜、蓮くん、ありがと!」


いつも以上に満面の笑顔で

自分の腕に、胸に、飛びついてくる。

それがうれしくて・・・。楽しみでもある。


駅からしばらく家の方に歩いて行くとだんだんとお店が少なくなってくる。


そんな場所にぽつんと小さなケーキ屋さんがある。

まだできたばかりで月森が香穂子と結婚してから暫くしてできた新しいお店だ。


小さいけれど可愛らしいそのお店のイメージは月森からすると

香穂子にぴったりのイメージ。

初めて見た時から思わずクスリと笑ってしまうほどイメージにぴったりで。


甘い物は好きじゃないからケーキ屋に一人で入ることなどなかったが

香穂子の好きなケーキを買って帰ろうと入っていったのだった。



「いらっしゃいませ」


月森が入って行くと若い女の店員が笑顔で出迎えた。

しかし月森の顔を見るとみるみる顔が赤くなった。

月森は不思議に思ったけれどそのままケーキの並べられたショーケースに目をうつす。


香穂子の好きなミルフィーユ・・・。

どこにあるんだろう。


「あの・・・何をお探しですか?」


遠慮がちに声をかけられて月森は顔を上げた。

目が合うとぎこちない笑顔を向けている。


「ミルフィーユを・・・」


月森が答えるとその店員は申し訳なさそうに言った。


「すみません。今日はもう終わってしまったんです」

「そうなんですか・・・」


思わずガッカリしているとまた遠慮がちに聞いてくる。


「あの・・・。ミルフィーユお好きなんですか?」

「いや・・・。その・・・妻が好きなので・・・」


月森は言いながら思わず香穂子を思って優しい笑顔になる。

店員がポカンと自分を見つめているのをまた不思議に思いながら

ショーケースに視線を戻して香穂子がミルフィーユの次に好きな苺のタルトを探し始める。


あった・・・。


ケーキになんて興味なかったのに香穂子と付き合うようになってから

ケーキが大好きな香穂子に付き合って喫茶店やレストランでも

香穂子の好きなケーキを見てきたおかげで香穂子の好きなケーキだけは

名前も覚えてしまった。


「この苺のタルトをもらえますか?」


月森の声に店員がハッとしたようにトレーとトングを手に取った。


「あの・・・ひとつでよろしいんですか?」


どうしようかな・・・。


自分はそんなに食べたいわけじゃないが、一緒に食べた方が

香穂子も喜ぶし楽しいかもしれない。

そして香穂子が一口交換しようとうれしそうに言ってくるから

別のケーキにしよう。


「それと・・・シフォンケーキをひとつ」


あまり甘くなく、香穂子も喜ぶものを選ぶ。

早く帰って香穂子の笑顔が見たい・・・。


できればミルフィーユが良かったけれど・・・。


「ありがとうございました」


ケーキをつめてもらって2つのケーキが入った小さな箱を手に店を出た。


そんな月森の後姿を赤い顔で見つめる店員にお店の主人が声をかけた。


「綺麗な男の人だね。」


からかうように言うお店の主人に店員は笑いながら答える。


「そうですね。でも指輪してましたし、今のケーキも奥さんにって買って帰ってました」

「そうか〜、残念だったね」

「ええ。でもまた寄ってもらえるかもしれないし、楽しみが増えました」


初めて会ったばかりなのになんだか失恋したような気持ちになったけれど

でもまた会えるだけでもうれしいような、そんな気持ちがしていた。


どんな奥さんなんだろう・・・。

あんな素敵な人にあんな優しい表情で愛されてるひと。

いつか見てみたいな、とその店員は月森の出て行ったドアを

いつまでも見つめていた。



それからは駅を利用する時はいつもこのケーキ屋に寄っている。

香穂子とも何度か来たことがある。


「ミルフィーユ、新しいのが出来上がりましたから。もし良かったらどうぞ」


まだ店頭にもミルフィーユが並んでいたが

新しいケーキを箱につめてくれた。


「どうもありがとうございます」


思わずお礼を言うとその店員は少し顔を赤くしながら微笑んだ。

よく顔を赤らめる店員に月森はずいぶんと恥ずかしがりやなんだなと思っていた。


「奥さまきっと喜ばれますよ。かわいらしい人ですね」


店員の言葉に今度は月森が顔を赤くして思わず笑顔になった。


その笑顔を見た店員の顔がみるみるポストのように赤くなったので

月森はますます恥ずかしがりなんだな、と思っていた。


月森の笑顔に思わず赤面したなどとは全然気づいていないのだった。


なんて素敵な笑顔なの・・・!


そう・・・。あれから何度か妻である可愛らしい女性を伴って来ていた。

店員は2人の様子を見て明るくてかわいらしい女性と

その彼女に優しく甘い視線を向ける月森を目にしてうらやましくは

あったが、なんだかしあわせな気持ちになった。


自分もこんなに素敵な人とこんな風にしあわせになりたいな、という

思いでいっぱいになった。


そしてさっきのあの笑顔・・・。


思い出すだけでくらくらするけれど、そんな笑顔がこぼれるほど

奥様のこと愛してるんだな、とますますうらやましいような

しあわせのおすそわけをしてもらったような・・・そんな気持ちになった。


だから2人がしあわせな気持ちでいられるように

いつも彼の来る時はミルフィーユがありますように、と思っていたので

今日のような出来立てのケーキを渡せることができてうれしかった。

きっといつも以上にしあわせな2人なんだろうな、と思いながら

思わず顔がほころんでいた。


月森は出来たばかりのミルフィーユも買えたし、香穂子の喜ぶ顔が早く見たくて

家に向かう足も自然と早くなる。

そしてあの店員の香穂子に対するうれしい言葉にしあわせな気持ちを

味わっていた。


「ただいま」

「おかえりなさい!あ・・・それは・・・」


ベルを鳴らすと飛ぶように出てきた香穂子は月森の手元を見て

目を輝かせた。

その様子に月森の顔もほころんで・・・

「その前に・・・」と

香穂子を引き寄せて口づける。


ケーキより甘い香穂子とのキス・・・。

俺は、こちらの方がいいんだけどな、と思いながら

唇が離れるとケーキの箱を手渡す。


「ありがと、蓮くん。うれしい!ここのケーキ、すごくおいしいから大好きなんだ」

「香穂子の好きなミルフィーユも入ってるから。まだ出来上がったばかりなんだ」

「ホント?じゃあ、すぐ食べようよ」

「ああ。そうだな・・・。そうしようか」


香穂子のうれしそうなケーキより甘い笑顔にくらくらしそうになりながら

月森は甘いひとときをくれたあのケーキ屋に感謝した。


「やっぱりミルフィーユはおいしい」

「そうなのか?」

「うん。だって・・・ミルフィーユは蓮くんだからね」

「・・・・・」

「食べちゃおう。パクッ。あ〜、甘くておいしいな♪」


月森は自分のケーキを食べ終わると香穂子が食べ終わるまで見ていたが・・・。


「ごちそうさま。おいしかった。ありがと、蓮くん」




「それじゃあ・・・俺も君を・・・」


「え・・・?」


驚く香穂子の手を取ってぐいっと抱きしめる。

そしてそのままソファに押しつけて・・・。


ケーキより甘いキスから始まる2人のしあわせな時間。

2つのお皿とフォーク、そしてケーキの箱が見守る甘いひとときの始まり。




2005.6.20