一緒に朝を迎えましょう
コンコン。
ドアをノックする音がした。運び込んだ荷物をそれぞれの部屋に納めて
香穂子も自分の部屋をすべて飾り終えてようやくひと息ついたところだった。
キッチンやバスルームは一緒に飾り付ける。
そしてそれぞれの部屋は飾り付けてからのお楽しみにしようと
香穂子からの提案でそれぞれ頑張って飾りつけていた。
「そろそろ蓮くんも終わったかな・・・?」
そんな風に考えていたところだった。
月森が香穂子に選ばせてくれた部屋を整えていきながらもうひとつの部屋で
今頃月森も同じように部屋を整えているかと思うとなんだかくすぐったくて。
思わず一人笑みが零れてしまうのだった。
月森の方でも同じように隣の部屋に香穂子の存在を感じながら幸せな想いで胸がいっぱいだった。
月森らしくきちんと部屋を整え終えるとすぐにどうしているだろうかと気になって香穂子の部屋のドアの前に立った。そしてまだ終わっていないかもしれないと躊躇しながらも遠慮がちにドアをノックした。
「はーい」
中から聞こえる可愛らしい声音に月森の頬がふっと緩んで優しげに瞳が細められる。
「香穂子。開けてもいいだろうか?」
「うん。もう終わったから。蓮くん、入ってもいいよ」
ドア越しに聞こえる月森の声に香穂子の鼓動がトクンと跳ねた。
いつも聞いているよく通る透き通った声とはまた違う響きに慣れるまで時間がかかりそうだ。
初めて電話越しに聞いた時もそうだった。月森の声には不思議な魅力がある。
たぶん月森も気づいているような気がする。香穂子がその声にドキリと反応してしまうということに。
だからよけいに恥ずかしく感じてしまう。そんな時視線が合うと恥ずかしくてまたドキドキしてしまうのだ。
ドアを開けて月森が顔をのぞかせた。
さっきすでにこのベッドの上で抱き合って唇を重ね合わせたばかりなのに。
公園の大木の下で誓いの口づけを交わしたばかりなのに。
すぐに入ってこようとしない月森に香穂子が笑ってドア越しに聴く声にドキドキしていたことも忘れ
ぎゅうと抱きついていく。不意うちに抱きつかれて頬を赤くしながら月森の顔にも笑顔が零れていた。
そんな月森の手を引いてゆっくりと可愛く飾られた部屋へ招き入れる。
部屋の中はブルーに統一されている。いつでも愛する人に包まれていたいから・・・一緒に暮らしてもなおそんな思いでこの色を選んだという香穂子の言葉に月森の胸が愛しさで溢れそうになる。そしてどこかかわいらしく見える飾りつけに月森が笑って「香穂子らしいな」と感想をもらすとふっと何かに気づいて目を丸くした。
机の上には2人で撮った私服姿の写真と月森の写真がたくさん飾ってある。
その中には星奏学院の音楽科の制服姿。セレクションの燕尾服やスーツ姿のものもある。
そして赤ちゃんの頃のものや幼稚園、小学校、中学校と小さな頃からの写真が大きな1つのフレームの中に収められて壁に飾ってあったのだ。
「これは・・・・・・」
「お母さまがね、出発前にくださったの。私がね、アルバム見せてもらった時に『いいなあ、ほしいなあ〜』って言ってたのを覚えてくれていたみたいなの。いいでしょ?飾っても・・・。ダメ?」
「駄目なんかじゃない。ただ・・・恥ずかしいんだ」
「うん・・・」
期待の目で見ている香穂子としばし見つめあう形になって・・・。
恥ずかしさで頬を赤らめながらもそんなに望んでくれるなら・・・と嬉しいような気持ちにもなる。
深い紅茶色の瞳が甘く揺れながら少し悪戯めいた微笑が浮かぶ。
「俺も・・・君の子供の頃からの写真、飾ってもいいというなら・・・」
「え?でも私持ってきてないよ」
「俺も持っているんだ。君の赤ちゃんの時のものから最近のものまでたくさんある」
「・・・・・・!」
月森がそう言っていつものあの笑顔を見せたので香穂子がびっくりしたように目を丸くした。
そしてすぐにぴんと来て月森の両手をつかむと鼻と鼻がこつんとぶつかりそうなほど顔を近づけて
目の前の琥珀の瞳に問いかけた。
「それは・・・おねえちゃんから?それともお母さん?」
「両方だ。君の家に忘れ物を届けに行った時、ちょうど君が買い物に出かけていて・・・。アルバムを見せてもらった。その時、何枚か選んでくれたんだ。それが君のお母さんで・・・お姉さんには君を家に送り届けて帰ろうとしていた時に呼び止められて・・・最近撮った写真をもらった」
「そ・・・そんなぁ。変な写真なんかなかった?」
「ない。どれも皆・・・かわいかった」
思い出したように幸せそうに笑う月森の言葉に香穂子の全身がぼっと真っ赤に染まった。
でも月森の言う『ない』とはどういうことだろう?
「いろいろもらったが・・・。君が飾らないでくれと言いそうなものは飾らないから・・・」
「え?そんなものあるの?」
「どうだろう?」
月森がくすりと笑みを零した。この分だと・・・見せてくれそうにないな。
抱きしめてくる月森の暖かい胸に顔をうずめながら香穂子は小さくため息をついた。
母はともかく姉が渡した写真というのがどんなものなのか激しく気になる。
「香穂子」
名前を呼ばれて月森の胸から顔を上げると月森の視線が今度は
ベッドの枕の脇に置かれたうさぎと猫のぬいぐるみに向けられている。
香穂子は月森の腕の中からそっと抜け出ていくと駆け寄ってふたつのぬいぐるみを手に取った。
「はい、こっちは蓮くん。私のこと猫みたいって言うじゃない?
だから私だと思って寝る時抱いていてね。私は蓮くんを抱いて寝るから」
「・・・・・・・・・・・」
ということはやっぱりうさぎは自分なのか?
香穂子は最初こそ月森のことを猫みたいだと言っていたがいつからかうさぎみたいだと言うようになった。
自分では自覚がないが、香穂子が言うには『白くて寂しがり屋だから』・・・だそうだ。
少し不満だが、確かに香穂子に関しては側にいてくれないと寂しいと常に思ってしまっているから。
言われてもしかたないか・・・と最近は思い始めている。
そしてそれよりも気になることがある。
このぬいぐるみたちをそれぞれ抱いて寝るということは・・・。
お互いを抱きしめながら寝る・・・という選択肢はないのだろうか?
婚約したとは言ってもまだ夫婦になったわけではないし・・・。
やはりしかたないか・・・。
月森は黙って香穂子のことをじっと見つめていたが。
「わかった。そう思うことにする。じゃあ、俺のベッドに連れて行こう」
月森が猫のぬいぐるみを抱いたまま部屋を出て行った。
その様子がなんだかかわいらしくて香穂子も後から追いかける。
そして月森の部屋に入るとその綺麗に整頓された様子に「蓮くんらしいね」と感嘆の声をあげた。
短時間で飾りつけただけなのにお互いのカラーがすっかり現われていておかしくなる。
そんな思いで部屋を見まわしていた香穂子だったがふとあるものに目をとめた。
嬉しさと恥ずかしさに思わず頬が染まり照れたように笑みが零れる。
やはり月森の机の上にも香穂子の写真がたくさん飾ってあったのだ。
2人とも自宅にいた時から飾っていたけれどこうして一緒にいられるとしても飾っていたい。
そんな思いでそこかしこに飾ってある。
もうすぐ月森の部屋にも香穂子の成長記録のようなフレームが飾られるのだ。
それを思うと自分も月森のものを飾っているくせになんだか恥ずかしく感じる。
そしてどんな写真が飾られるのか考えるとドキドキしてくる。
そんな香穂子をよそに月森はベッドの上の枕の脇にそっと猫のぬいぐるみを置いた。
本当に抱いて眠るのかな?
自分で言い出しておきながらそう考えるとかわいくてクスクスと笑いが零れてしまう。
「なぜ笑うんだ」
「だって・・・ごめんね。ぬいぐるみ抱いた蓮くんかわいいなって思っちゃって」
「かわいくなんかない」
ふいっと横を向いてしまった月森の不機嫌の理由は別にある。
しかしいろいろと考えてそうしたんだろう香穂子の気持ちは嬉しいから・・・。
「怒ったの?」と顔をのぞきこむ香穂子の体を抱きしめて安心させるように笑いかけると
「怒ってなどいないから・・・お風呂の後でまた・・・」とそっとそのかわいらしい耳元に甘い声音で囁いた。
コンコン。
再びドアがノックされた。お風呂に入ってパジャマに着替えて自分の部屋に戻ると
後からお風呂に入った月森がそろそろ出てくる頃かなと香穂子が鏡の前に座って
乾かした髪をとかしながら考えていたところだった。
香穂子の胸の鼓動がとくんと跳ねた。
今度は返事を聞く前にがちゃりとドアが開けられて。
「香穂子・・・」
ドアから顔をのぞかせた月森の髪はまだ濡れていて手には猫のぬいぐるみが抱かれている。
「蓮くん・・・」
香穂子が名前を呼び返すとそっと月森が部屋に入ってドアを閉めた。
そしてゆっくりとベッドに近づき香穂子の枕の横に置いてあるうさぎのぬいぐるみの横に
寄り添うように猫のぬいぐるみをちょこんと置いた。
「やはり一緒がいいと思うんだ」
並べたぬいぐるみに手を添えたまま見つめる月森の熱い瞳に射すくめられて。
香穂子の体は痺れたように動けなくなった。
そしてゆっくり近づく月森に腕を取られて抱きすくめられる。
お風呂上がりの温かい身体に包まれて。
思うより広い胸に頬を押しつけられて。
早鐘のように驚くほど速く強く響く月森の胸の鼓動が頬に直に伝わってきて。
顔を上げるとさっきよりも熱い瞳が近づいて。
月森の濡れた前髪が乾いたばかりの香穂子の前髪と絡み合う。
「私も・・・そう思う」
うさぎと猫。仲良く並んで見守るベッドの上に。
ゆっくりと暖かな温もりが重なる。
このまま朝までずっと。
互いの温もりに包み込まれていたい。
一緒に朝を迎えよう・・・
今日も明日も明後日も。
熱い2人を見守るぬいぐるみたちが。
今日は香穂子の部屋に。
明日は月森の部屋に。
仲良く一緒にお引越ししていた。
2人仲良く一緒に朝を迎えるために。
2006.9.27
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